江戸後期建造の農家屋敷
現在も私、下邑が住みながら、開放しています。貸切利用では、人物撮影を目的とした方が多くいらっしゃいますが、スタジオとして開放しているわけではございませんので、お取り扱いにはご注意ください。
季節によって、蔵を野菜保管に使用していることがあり、イメージ画像と異なる場合がございます。
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江戸後期〜明治建造。 白黒の海鼠壁(なまこかべ)が特徴の長屋門。 門扉には鉄製の飾りがあったが、太平洋戦争中の金属回収令により供出され、引き抜いた跡がみられる。 また、軍用車両が門を通過する際に削れた跡がある。
塀と一体になっている便所。
江戸後期〜明治建造。 当初は茅葺きだったが、後に近隣に先がけ瓦葺きとなる。 東日本大震災でめくれ上がり、翌年にガルバリウム銅板に葺き替え。式台および書院の間は特別な御客様を御出迎えする際に使われていた。 太平洋戦争中は、馬でやってきた陸軍中尉(名は高田?)が駐留していたことがある。
冠婚葬祭や特別な御客様を出迎える際に使う玄関。
かつて養蚕をしていた形跡がある。
この付近では三間つづきの部屋構成は珍しい。
式台を上がった先にある部屋。 特別な御客様を御出迎えする際に使われていた空間。 太平洋戦争中は、馬でやってきた陸軍中尉が駐留していた。
後ろを振り返ると、前庭を眺められる。
書院の間から内庭を眺められる。 内庭は周囲が塀で囲われている。
エアコン付き12畳のお部屋です。撮影目的の方は更衣室としても、お使いになれます。この部屋と屋外のみ飲食可としております。
ウォシュレット搭載の様式トイレです。母屋内にはお手洗いが3箇所あり、そのうちの一つは和式です。
江戸後期建造。 屋根下に「下邑」の印がある。武士の刀などをしまう質蔵として使っていた。 倒壊のおそれがあるため、屋内には入れない。 修繕には2000万円を要すため、この蔵をなおすことを第一目標に、皆様からいただいた料金やクラファンをコツコツ貯金しつつ、仕事をしています。クラファンはGo to link
大正13年建造。 もともと今よりもやや大きい蔵が建っていたが、関東大震災で倒壊したため、大正13年に新たに建てた。敷地内の古建築の中では最も新しい。 屋内には入れない。
大正10年建造。 小作米の収納庫。建坪45坪と付近ではかなり大きな部類に入る。戦時中に米軍戦闘機から見えづらくするために黒く塗ったとの口伝あり。
戦後はGHQに仮接収されたと思わしきプレートが打ち付けられ"WAREHOUSE OF STAPLE FOODS UNDER GOVERNMENT CONTROL"(政府管理下の主食備蓄庫)と書かれている。
大正〜昭和前期。 長屋門の先にある庭。庭が好きだった寅之助(現つくば市北条の井上家から婿入り)が作庭依頼。正面に並ぶ二つの蔵、左に母屋、右に米倉、背景に屋敷林…とこの家の要素を全て見られる。 当時、付近では珍しかった伽羅を中国から輸入。ゆえに「伽羅の家」と呼ばれた時期がある。
大正〜昭和前期。 周囲が塀で囲われた庭。門の屋根と一体化するように生える金ヒバの木が印象的。 半世紀前に門扉以外を総入替えしている。
背景に新築の家が映るので、撮影の際にアングルを探す必要がある。
筑波颪(つくばおろし)などの強風から屋敷を守ったり、材木として使うために植えたもの。小作人の方の家が燃えてしまった時は、この家と分家の屋敷林を提供して建て直した。現在となっては屋敷林が残っている家も珍しくなってしまった。